広島市安佐南区出雲街道
     出雲街道に残る銀山城武田氏の城下町祇園の町並み

広島市安佐南区の南東に位置する祇園町は、背後に銀山城祉の武田山、火山、丸山の連なる山稜から東端の太田川に挟まる平野の中にある。平安時代、安芸国佐東太田川の河口に位置し、瀬戸内海とを結ぶ要衝の津として栄えた厳島神社領荘園の地であった。1288年佐東郡地頭武田泰継と三入地頭熊谷頼直との間で争論が起きた。太田川における水運や鵜舟の支配権が両者にとって経済的にも非常に重要なものであったかが覗える。安芸国の流通経済の中心として栄えた祇園も、毛利元就が武田光和を滅ぼし、毛利輝元が広島城に居を構えると、経済も広島に移行する。現在も出雲街道の宿場町として最初の一里塚が残る街道には、古い伝統的な建物や歴史的な安神社、長束神社が、町並みの中に残る佇まいに風情を感じる。
     
     
     
     
     
     
     
 
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