奈良盆地の中央に位置し町全帯が平坦な地で、東部に大和川、中央部に寺川、西に飛鳥川と曽我川が合流する川便に恵まれた町。古代の大和国城下郡賎ヶ丘の七本槍の一人平野長泰が田原本に領地を拝領の地で、法隆寺への街道としての宿場町。田原本陣屋町と寺内町で、唯一江戸時代のたたずまいを残す一画には天保12年(1841)頃の建物、鍵岡薬局の入母屋造りの母屋、その母屋に接しての切妻造りの「乾蔵」、反りの大きな大屋根、軒周りのアゲ塗り、虫籠窓、大壁など往時をしのばせる建物がある。明治天皇行幸の際の道路として異議深い町筋である
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