江の川流域の谷筋に、かんな流しや、野鍛冶で栄えた町筋
三次盆地に、貴重な文化遺産として残るのは、広島県内の三分の一と言われる3000基あまりの古墳群の存在です。
中世の吉舎地域では、地方豪族の和智氏がこの地を約200年間支配しており、南天山城の城下町。あるいは陰陽を結ぶ街道の宿場町として賑わいを見せました。その後戦国時代末期になると江の川流域で西日本最大と言われた漁業文化が発展します。
その時期に始まったのが、現在も観光事業として知られる「鵜飼漁」です。
1591年、毛利氏の家臣、三好広高が比叡尾山城から比熊山へ移城し城下町を造ったことが、三次地域の発展のきっかけとなりました。毛利氏の防長移封により、城は築城途中で廃上になりますが、1632年に浅野長冶が5万石をもって、三次藩の治世が確立されました。