戯言・愚痴・独り言..の部屋


   

暇だから愚痴の一つも

「令和」元号はもともと中国渡来のものなのに、本場の中国では清朝滅亡以後使われていない、日本同様、周辺の国はみな中国の真似をして元号を採用したわけだが消え失せ、今では世界中で日本だけが採用している。 「元号は、人間の精神的活動による無形の文化財と言う意味で意義がある」と当時の自民党筋の見解で、昭和から平成にと一世一元で引き継がれている、どうやら元号によって時代相が頭に浮かんでくるには重宝だ。 ならば、いっそのこと一世多元にしたらどうだろう、「大化」が普通には元号の始めとされている、大化六年、白い雉が献上された、これは目出度いと「白雉」と改元、秩父より和銅を献ずることにより「和銅」、老人星なる異常が現れ「延喜」天地異変により「天慶」と改元と言う具合に、祝儀不祝儀のたびに元号を変えるのが昔の方式であったから、元号が時代反映の意味を持ちえた。 本来なら、関東大地震の折に元号を改元すべきであった、八月十五日も、戦後と言う一時代の姿を鮮明に残す、電化の時代に入れば「電化」公害の時代なら「水明」デジタルの時代には「映像」、東北大地震、北海道、熊本、異常現象の大災害多発で元号が追い付かない、やはり一世一元で日本の文化を守ろう。
   老いは漸

さてここで一休みと、ノンアルのビールを手に、何かあてでもと台所に降りていく階段にボクの洗濯物が折りたたんである、階段を引き返しボクの部屋で洗濯物の整理、そして再び書斎のパソコンに向かうと缶ビールが、俺はいったいなぜ台所まで下りて行ったのか、当初の目的を綺麗さっぱりと忘れている。
年取ると激しくなるのが物忘れと認知の危険性、妻に生活費の仕分けを一切任せている、ある仕事に集中的に没頭できると言う考えから。 たぶん妻のヘソクリであろうものを見つけている、随分と日にちが立っていることから忘れているに違いない、待望のフルサイズのレンズがヤフオクでおとせる金額、ボクにとってその幸の日がいつになるかが問題。 この話をした古民家喫茶の旦那、「それはいったん場所を変えろ」進言、「ない」と騒げば「ここに仕舞っていると」出してやれば喜ぶ、ちょい悪オヤジ、テンプクトリオの仲間はやっぱり悪か。
   がらくた人生

何やかんやでの85年を無事迎えることができたことは幸せなる人生か、皆様からのお祝いの言葉に感謝し、反省する思いで過去を振り返りますと、質の高い高度な技術は学びがたく、役の立たない「ガラクタ」の中に、身近においておけばいずれは役に立つこともあるだろう、捨てがたい人生「路傍の石」、この日この時を粗末にしてはいけないだけのわがままな人生、それでは世間様に申し訳ないと、やりがいだけを感じるものを残しておきたいと、「もうお前さんはいらないよ」と言われるまでの頑張りです。

 

   彼岸花 毒か薬か不思議な魅力

まだ少し暑さは残っているけど、秋の気配を感じたのだろう、彼岸花はちゃんとでてきた。この花の本名はヒガンバナ、なのにマンジュシャゲ(曼珠沙華)と呼ばれたり、時には死人花とも呼ばれて、手折って遊ぶと毒の花として叱られる悲しい花だが、秋の彼岸の季節には「もう秋ですよ」と言わんばかりに、真っ赤な絨毯を野に敷き詰め、彼岸を知らせる季節に正直な花だ。
さらにもう一つ、彼岸花は花を咲かせているときには葉がない、土の中から花の茎が一本立っているだけだ、10月にもなれば、花はもう見られない、実もつけず種も残さず、いつとはなしに消えていく、そうして晩秋に葉がでてくる、周囲の草木の葉が枯れていく頃から、葉を伸ばし雪の中でも青々と育ち、春が来て草木が芽を出すころに、彼岸花の葉は枯れていく、とても季節に従わないヒネクレ者だ。マンジュシャゲと言うのは梵語で、真紅の花と言う意味を持つ、野では真紅な花が群生してとても情熱的な風景をかもしだす。
   「あじさい祭」

FBのN女子からの情報を頼りに、その「祭」が気になり訪れてみる。贅沢なほど広い庭に四季折々の花を丹念に育てている。アジサイの見ごろには少し早いようだが、そのイベントは女性を楽しませるには十分だ。 物が十分な時代、あまりものも十分にある、そのあまりものに一手加えると無駄なものではなくなる、このような遊びも無駄なものではない、遊びで育つことが非常に多いのです、かしこい遊びを遊ぶと言うことだと感じた一日。
   エープリルフール (四月馬鹿) 今日、新年号が決まった「令和」。  令和元年4月1日

4月1日は、嘘をついてもいい、騙されるのがバカと許される。だがその内容にはユーモアがありオチが欲しい。
肥前のほら吹きが「俺の国の楠は、朝日が昇ると国の半部は陰になる」といえあ、肥後のほら吹きは「俺の国の牛は大きくて、しゃがむと阿蘇山が隠れる」すると筑前のほら吹きが「俺の国の大太鼓は、肥後の大牛の皮で張って、肥前の楠を
撥に使う」・・・(ほら吹き伝説より)

桃の季節を過ぎてなお、弥生の空は春の誘いと、冬の名残にゆれているようだ。土手の桜が満開を迎える中、吹く風は強く「春三番」と冷たい。下草も青々と伸びている、燃える青葉を踏んで散策する楽しみを「踏青」と言い、晩春の季語である。

  ついの晴れ間に

 目に青葉 山ホトトギス 初かつお 間もなく連休に入る。
平成の時代の卯月も終わり、間もなく令和の皐月を迎える。
卯月の空は、春霞の中にあっておぼろな青空だ、なんじゃもんじゃの真白な花が青い空の隙間に満開に広がる、真白な牡丹、さつき、こてまりと咲く庭の隅に取り付けられた小鳥の巣箱にヤマガラが繁殖、交互に雛に餌を運びながら、寝床から糞を取り出している、智恵物のヤマガラは清潔な環境で雛を育てると聞く、天才的な発想に関心しながら眺める。

   

フキノトウ

山の路傍の土手に、はやばやとフキノトウがふくらんでいるのを見つけた、陽射しの良い場所ではすでにとうが立ち花芽をつけている。
ことしは、いささか暖かい冬だったのに騙されて、フキノトウは早々と春を感じたのだろう。そんな早春の野を、きらびやかに色彩てるのが節分草、小さな透明な花弁が春一番よと、すばしこい。旧暦の節分の日にはまだ少しばかり早い。

 

   牡 丹  

蕪村の句、「牡丹ちって折重りぬ二三片」 折重りぬがいい、牡丹でないとこの味が出ない、衰えたところにまた格別な味があるところは、ほかの花には無いことである。腐っても鯛と言うが、衰えても牡丹と言った方が風流である。

正岡子規の歌に「本所の四つ目にさけるくれないの牡丹燃やして悪き歌を焚け」今なら「エロ本を燃やせ」ととるか。同じく蕪村「魔王の口や牡丹を吐かんとす」閻魔大王が口を開いて真っ赤な舌を見せたところで、仏弟子たちは、自分の言葉に偽りがないことを証拠に見せたのだそうだ、二階堂さんも、一度安倍さんの前で長い舌を見せておく必要がある。
こんなことを言っていると、業界の友人は「君は実につまらないことを知ってるね」と皮肉を云う。そこで僕は答える「ぼくは、実につまらないことを知ってない」「一生バカで過ごせたらこんな幸福なことはない」、それにしても牡丹は美しい、大好きな花である。

 

   花に嵐の  

満開に咲いた花の向こうに広がる青は、春爛漫の空、2,3日続いたバカ陽気から冷たい春の嵐の花冷え、恋心をじらすように行きつ戻りつしながら春は近づいてくる。「春は獅子のように来て、子羊のように過ぎて行く」日本人には親しみがもてる諺、温和な春。手のひらを返したように「月にむら雲、花に風、思うに別れ、思わぬに添う」世のままならぬさまをとらえたもの、今日みた春の色は、明日は消えてゆく、「はなにあらしのたとえもあるぞ、さよならだけが人生だ」井伏鱒二

 

芸北路を行く

まだ梅雨前だが季節は初夏、夏日のように晴れわったった芸北県境は風もさわやか、田植えも終わり長閑な風景だ、うるさく啼くのは春ゼミと聞く。
渡り鳥ブッポウソウが子づくりの時期に入ると、山から降りてきて連れ合いを捜し住処を構える、そんな姿を求めて野山の周辺を、野鳥専門のカメラマンに同行しカメラを片手にぶらぶらと歩く、当てどなく歩くわけではないが、目的の野鳥は遠くの森で逢引きの真っ最中だ、ブッポウソウの囀りか「愛の言葉」も野鳥の中では一番下手だ。望遠鏡でその姿を眺めながら、今年は次期が早かったとあきらめる。帰り際に連れはワラビの収穫に忙しい、なんと静かで平和な風景か、自然で心も豊かになる情景、県境芸北高原は新緑の中に夏を待つ。

 

五月の節句

五月と言えば五月人形にしょうぶ湯、鯉のぼりである。ボクノ家でも五月人形の鍾馗様の鎧姿、駒に太刀、ミニチュアの鯉のぼりが床の間に飾られていたが、いつの間にか飾られないまま姿を失せた。
しょうぶ湯は五月五日に立てる、菖蒲とよもぎを束ねて屋根にかざし、夕刻お風呂に入れて男子の健康を祈る、その匂いが嫌いで烏の行水となる、無理をして長湯しても心身に毒だと思う。
忘れていた「かしわ餅」のことがあった、次代の成長を確かめて散っていく柏の葉につつむあんころ餅、石臼で粉を引くことから始まるので楽しみも長い。
その点「ちまき」これはいただけない、紐どくのも面倒だし味もない。ちょいとした風情の違い、何事にもよらず風情をもっとも楽しむ。

 

 
  ヤマガラの巣づくり

ヤマガラは学習能力の高い野鳥で、芸を仕込むことができる。覚えた芸は江戸時代には盛んに披露された、特に「おみくじ」を引かせる芸が多く、1980年ころまでは神社の境内など各地で見られた。
春を迎えるとヤマガラは里へと下りてきて巣作りを始める、今日も新婚の2羽のヤマガラが寝床造りに忙しく枯れ葉などを運んでいる。3月から6月にかけて3〜6個の卵を産む、包卵期間は約2週間で孵化し3週間後には巣立つ、その日まで静かに観察しよう。
   啓蟄と子どもの声

めっぽう暖かかった日、少子化なんて嘘だろうと思うほど、子どもが大勢寺山公園の陽を浴びに来た。乳母車を押した母親が一杯の荷物を抱えながら、忙しく立ち回っている。待ちきれない男の子は凧揚げに駆け回る、女の子が後を追う、バットとボールがあればいろんな遊びを工夫する。思いがけない暖かさに飛び出した子どもの声が公園を翔りぬける、子どもの「啓蟄」なのだろう、芝生の芽が伸びてきた。

 

   彼岸の入り

「暑さ寒さも彼岸まで」といわれるように、春の彼岸は一年のうちで太陽が真東から昇り真西に沈む日、その西に沈む太陽を見ながら、極楽浄土に思いをはせるからだと親鸞が教える。

東から出たバカ暖かい太陽に誘われて、彼岸の里に思いを寄せ散歩する。賢い野鳥「ヤマガラ」は、最終的な巣造りに入った、木くず、枯葉から、柔らかい羽根毛に変わった、卵を産むに柔らかな寝床づくりだろう。桜が咲き始めた陽光桜の開花、足元にはクリスマスローズの花が庭一面に咲いている、暖かい春分の太陽をいっぱいに浴びて。

 

   秋の味

秋晴れの日、鎮守様の秋祭り、運動会と笛や太鼓の音、子どもたちのざわめきも明るく響く、海の幸、山の幸、野の幸どれを取り上げても充実している。
食欲不振で夏衰えた體も十月となると鋭気回復だ。暑からず、寒からず新陣代謝が盛んで何事にもあくことを知らず食欲が出てくる。

秋の時期さらりと流して旨いものは蕎麦、ざるそばに限る。JR可部線、終着駅亀山の駅前にある縁が和で、“だるま”の江角さんが打つ打ち立てのもり蕎麦は、風味も爽快お汁と薬味の味覚にぞっこん参る。帰り際にFBの彼岸花の写真に一句頂いた。

   梅雨時はざる蕎麦

一年、十二ヶ月半ば、六月は可愛そうなほど無視される月だ、5月の連休で疲れ切った体に、日本独特の梅雨前線のもたらす長雨は、なんとなくうっとうしい、梅雨の長いのも閉口だが、空梅雨も空しい、まだ梅雨入りは遅れそうだ。ともあれ水無月は春から夏へのつなぎである。

雨降りてやみ、やみてまた降る、鴉声と蛙声とこもごも晴雨を争う

食欲も落ちてくる、そんな時期に頂く打ち立てのざる蕎麦、これは旨い、可笑屋の総会の前に頂いた「達磨」のオヤジの自慢の味。

 

   74年目の「原爆の日」  三度許すまじ原爆を 
♪ふるさとの街やかれ 身寄りの骨うめし焼け土に 今は白い花咲く 
ああ許すまじ原爆を 三度許すまじ原爆を われらの街に ♪
毎日のように、広島市内の歌声喫茶で合唱されていた歌だが、時代とともに消えて行った。被爆桐の木陰で被爆ピアノを演奏する岸本善美さん、「原爆許すまじ」のコーラスが流れる。

74年目の「原爆の日」 ピースリレー900

〜星野村から桜丘学園へ、30年の歩み〜
1945年8月6日その時の原爆の残り火が、福岡県八女市星野村で原爆犠牲者の怨念の証として、山本家の仏壇で現在も燃え続いている。 愛知県豊橋市にある学校法人桜丘学園は、全国の教育機関で唯一、この火を平和の象徴として1989年10月「平和の搭」へ保存し、今年で建立30年を迎えた、30年記念行事として、福岡県八女市星野村から愛知県豊橋市桜丘高等学校までの道のり約900Kmをリレー形式で走破しようと企画を立ち上げた、それが「ピースリレー900」です。総勢20名の生徒たちとともに、約2週間かけて核廃絶や世界平和を訴えながら自転車でピースリレーの途中、8/6広島の日に平和祈念公園原爆ドームにて核廃絶と平和を呼び掛け兵庫県明石市にむかった。