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暇だから愚痴の一つも |
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老いは漸 さてここで一休みと、ノンアルのビールを手に、何かあてでもと台所に降りていく階段にボクの洗濯物が折りたたんである、階段を引き返しボクの部屋で洗濯物の整理、そして再び書斎のパソコンに向かうと缶ビールが、俺はいったいなぜ台所まで下りて行ったのか、当初の目的を綺麗さっぱりと忘れている。 |
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がらくた人生 何やかんやでの85年を無事迎えることができたことは幸せなる人生か、皆様からのお祝いの言葉に感謝し、反省する思いで過去を振り返りますと、質の高い高度な技術は学びがたく、役の立たない「ガラクタ」の中に、身近においておけばいずれは役に立つこともあるだろう、捨てがたい人生「路傍の石」、この日この時を粗末にしてはいけないだけのわがままな人生、それでは世間様に申し訳ないと、やりがいだけを感じるものを残しておきたいと、「もうお前さんはいらないよ」と言われるまでの頑張りです。 |
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彼岸花 毒か薬か不思議な魅力 まだ少し暑さは残っているけど、秋の気配を感じたのだろう、彼岸花はちゃんとでてきた。この花の本名はヒガンバナ、なのにマンジュシャゲ(曼珠沙華)と呼ばれたり、時には死人花とも呼ばれて、手折って遊ぶと毒の花として叱られる悲しい花だが、秋の彼岸の季節には「もう秋ですよ」と言わんばかりに、真っ赤な絨毯を野に敷き詰め、彼岸を知らせる季節に正直な花だ。 |
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「あじさい祭」 FBのN女子からの情報を頼りに、その「祭」が気になり訪れてみる。贅沢なほど広い庭に四季折々の花を丹念に育てている。アジサイの見ごろには少し早いようだが、そのイベントは女性を楽しませるには十分だ。 |
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エープリルフール (四月馬鹿) 4月1日は、嘘をついてもいい、騙されるのがバカと許される。だがその内容にはユーモアがありオチが欲しい。
桃の季節を過ぎてなお、弥生の空は春の誘いと、冬の名残にゆれているようだ。土手の桜が満開を迎える中、吹く風は強く「春三番」と冷たい。下草も青々と伸びている、燃える青葉を踏んで散策する楽しみを「踏青」と言い、晩春の季語である。 |
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ついの晴れ間に
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フキノトウ 山の路傍の土手に、はやばやとフキノトウがふくらんでいるのを見つけた、陽射しの良い場所ではすでにとうが立ち花芽をつけている。
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牡 丹 蕪村の句、「牡丹ちって折重りぬ二三片」 折重りぬがいい、牡丹でないとこの味が出ない、衰えたところにまた格別な味があるところは、ほかの花には無いことである。腐っても鯛と言うが、衰えても牡丹と言った方が風流である。 正岡子規の歌に「本所の四つ目にさけるくれないの牡丹燃やして悪き歌を焚け」今なら「エロ本を燃やせ」ととるか。同じく蕪村「魔王の口や牡丹を吐かんとす」閻魔大王が口を開いて真っ赤な舌を見せたところで、仏弟子たちは、自分の言葉に偽りがないことを証拠に見せたのだそうだ、二階堂さんも、一度安倍さんの前で長い舌を見せておく必要がある。 |
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花に嵐の 満開に咲いた花の向こうに広がる青は、春爛漫の空、2,3日続いたバカ陽気から冷たい春の嵐の花冷え、恋心をじらすように行きつ戻りつしながら春は近づいてくる。「春は獅子のように来て、子羊のように過ぎて行く」日本人には親しみがもてる諺、温和な春。手のひらを返したように「月にむら雲、花に風、思うに別れ、思わぬに添う」世のままならぬさまをとらえたもの、今日みた春の色は、明日は消えてゆく、「はなにあらしのたとえもあるぞ、さよならだけが人生だ」井伏鱒二 |
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芸北路を行く まだ梅雨前だが季節は初夏、夏日のように晴れわったった芸北県境は風もさわやか、田植えも終わり長閑な風景だ、うるさく啼くのは春ゼミと聞く。
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五月の節句 五月と言えば五月人形にしょうぶ湯、鯉のぼりである。ボクノ家でも五月人形の鍾馗様の鎧姿、駒に太刀、ミニチュアの鯉のぼりが床の間に飾られていたが、いつの間にか飾られないまま姿を失せた。 |
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ヤマガラの巣づくり ヤマガラは学習能力の高い野鳥で、芸を仕込むことができる。覚えた芸は江戸時代には盛んに披露された、特に「おみくじ」を引かせる芸が多く、1980年ころまでは神社の境内など各地で見られた。 |
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啓蟄と子どもの声 めっぽう暖かかった日、少子化なんて嘘だろうと思うほど、子どもが大勢寺山公園の陽を浴びに来た。乳母車を押した母親が一杯の荷物を抱えながら、忙しく立ち回っている。待ちきれない男の子は凧揚げに駆け回る、女の子が後を追う、バットとボールがあればいろんな遊びを工夫する。思いがけない暖かさに飛び出した子どもの声が公園を翔りぬける、子どもの「啓蟄」なのだろう、芝生の芽が伸びてきた。 |
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彼岸の入り 東から出たバカ暖かい太陽に誘われて、彼岸の里に思いを寄せ散歩する。賢い野鳥「ヤマガラ」は、最終的な巣造りに入った、木くず、枯葉から、柔らかい羽根毛に変わった、卵を産むに柔らかな寝床づくりだろう。桜が咲き始めた陽光桜の開花、足元にはクリスマスローズの花が庭一面に咲いている、暖かい春分の太陽をいっぱいに浴びて。 |
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秋の味 秋晴れの日、鎮守様の秋祭り、運動会と笛や太鼓の音、子どもたちのざわめきも明るく響く、海の幸、山の幸、野の幸どれを取り上げても充実している。 秋の時期さらりと流して旨いものは蕎麦、ざるそばに限る。JR可部線、終着駅亀山の駅前にある縁が和で、“だるま”の江角さんが打つ打ち立てのもり蕎麦は、風味も爽快お汁と薬味の味覚にぞっこん参る。帰り際にFBの彼岸花の写真に一句頂いた。 |
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梅雨時はざる蕎麦 一年、十二ヶ月半ば、六月は可愛そうなほど無視される月だ、5月の連休で疲れ切った体に、日本独特の梅雨前線のもたらす長雨は、なんとなくうっとうしい、梅雨の長いのも閉口だが、空梅雨も空しい、まだ梅雨入りは遅れそうだ。ともあれ水無月は春から夏へのつなぎである。 雨降りてやみ、やみてまた降る、鴉声と蛙声とこもごも晴雨を争う 食欲も落ちてくる、そんな時期に頂く打ち立てのざる蕎麦、これは旨い、可笑屋の総会の前に頂いた「達磨」のオヤジの自慢の味。 |
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74年目の「原爆の日」 三度許すまじ原爆を
♪ふるさとの街やかれ 身寄りの骨うめし焼け土に 今は白い花咲く ああ許すまじ原爆を 三度許すまじ原爆を われらの街に ♪ 毎日のように、広島市内の歌声喫茶で合唱されていた歌だが、時代とともに消えて行った。被爆桐の木陰で被爆ピアノを演奏する岸本善美さん、「原爆許すまじ」のコーラスが流れる。 74年目の「原爆の日」 ピースリレー900 〜星野村から桜丘学園へ、30年の歩み〜 1945年8月6日その時の原爆の残り火が、福岡県八女市星野村で原爆犠牲者の怨念の証として、山本家の仏壇で現在も燃え続いている。 |