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![]() 花の道スタート |
![]() 水主町 |
![]() 水主町 |
![]() 水主町可愛神社 |
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![]() 5丁目裏 |
![]() 4丁目裏 |
![]() 水主町 |
![]() 水主町 |
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![]() 上ヶ市 |
![]() 上ヶ市 |
![]() 上ヶ市 |
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![]() 森の下 |
![]() 森の下 |
![]() 森の下 |
![]() 勝円寺 |
![]() 森の下 |
![]() 森の下 |
![]() ひげ地蔵 |
![]() 1丁目裏 |
![]() 1丁目裏 |
![]() 1丁目裏 |
![]() 吹屋路地 |
![]() 吹屋 |
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![]() 川原 |
町の名前は懐かしい旧名です
可部夢街道(旧街道)の路地道は夢のある花の道です。JR可部駅の東出口を出て、左に折れると真っ赤な橋のかかる小さな庭園が目印です。花街道「花の散歩道」はここからのスタートです。
小さな看板「可部花の散歩道」の案内にそって続く細い路地道は、プランターに植えつけられたパンジーの花(四季折々の花)から、垣根越しに山茶花、椿、花壇の薔薇、紫陽花、小菊などの四季の花が美しく手入れされています。
路地は水主町、正明小路から品窮寺の境内を通り抜け寺小道から上ヶ市、森の下とならぶ家並みの玄関は各戸のご家族の好みによって鉢植えの花が所狭しと並び、散歩する人たちの心を癒してくれます。特に秋,になると、丹精こめた大輪の菊の花が、玄関前に香り高く咲き競い菊の花の展示品評会と戸惑いを感じるほどです。
南から北に通じる一本の旧街道から枝葉のように分かれる可部の路地裏の小径はまるで迷路のようにいり込んできます。水主町、昔は懇々と水が湧いていましたその名残を今でも見ることができます。家の庭先に湧き水のたまり場があり、生活の水は全てこの場に合ったことが伺えます。湧き水は転々とあり、その点と点を結んで水路が出来ている、その水を求めて家が建ち部落が出来たのでしょう。水路が分岐すれば、路地も分岐し、綾取りのように交差しています。一歩路地に入ると地元の人でも、迷い込むと言われます。路地は複雑に分岐し右に左にと曲がります。気が付いてみるとこの路地には、十字に交差する路地はなく全てが三叉路となっています。まるで水の流れが分岐するように、だからどちらに曲がるかによって路地道は近くなったり、遠くなります。なぞめいた路地のある水主町は、散歩するには夢のある路地道です。
白漆喰塗りの家、焼き板壁の家、舟板壁と、白と黒の調和も明治の名残を残し、千本格子の京格子戸は江戸後期の特徴で、築150年を越える建物が日ごろの日常生活の中に保存されています。
森の下の八幡さんの角にあるお地蔵さんは通称「ひげ地蔵」顔に髭を蓄えている変わり者のお地蔵さんは、地区のお守りさんです。山門に「真実院大瀛和上御遺跡」と印されたお寺がある。可部は、広大な安芸門徒の小さな根拠地でした。江戸後期の真宗思想家である大瀛和上が教学を収めた勝園寺です。「三業惑乱」と呼ばれる思想的な事件の立役者の一人で境内には墓所があります。1丁目の裏路地は、切石で組まれた基礎地に、商家の蔵、納屋、醤油醸造の工場、倉庫、蔵などの建物が並び、なまこ壁の残る土蔵群が並ぶ昔をしのぶ路地で「花の散歩道」も終点となります。
花の散歩道を終わって街道を横断すると吹屋、名前のとおりここは江戸期から可部の重要な産業であった鋳物工場の蹈鞴(たたら)の跡地です。いったん鋳物工場に火が入ると少なくとも4〜5日は火との生活です。職工達は工場での危険な生活を逃れて仮の住まいで生活します。そこが上仮屋・下仮屋(現在は上仮屋)です。裏の根の谷川に通じる地区は川原、この場所に「吹き」で焼け残った廃材が捨てられた広場から、川原の名前が残っています。
現在「可部夢街道町つくり」の会によって、裏の路地道を「花の散歩道」として四季の花をプランターに植え付けて、路沿いを花で飾る活動を続け、訪れる人を優しく迎えてくれる魅力あふれる癒しの空間を作っています。