世羅の街道から、北側山手に石垣に守られるように四脚門の山門、江戸時代後期と伝えられる。 石畳の参道はなだらかな勾配を持って進み、両側には12坊の子院の跡地が残る。参道の突き当りに朱塗りの太鼓橋、右手の石段を詰めると太子堂、本堂。この時期の境内は、真っ赤なモミジに染められ、モミジの今高野山として観光客でにぎあう。