可部軽便鉄道からJR可部線へ
散 歩 道
広島〜可部間の交通の発達 |
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太田川鉄橋 | 可部駅構内 | レトロバス | 鉄道敷設2万キロ地点 |
日露戦争後の明治39年(1906年)10月、資本金30万円で広島軌道株式会社が設立され、横川〜可部間の鉄道敷設が計画されました。同41年(1908年)に本格的に工事が始まり、42年11月には三篠町(横川)〜古市橋間が開通しついで43年12月古市橋、上八木間、さらに太田川鉄橋の建設が進み44年(1911年)6月には全線が開通しました。
その後、幾多の変遷を見ながら交通機関の充実、旅客・貨物の敏速化を図ることになり旅客の運送は電車運転に切り替はり、昭和3年(1928年)11月には始点の三篠と古市橋間に電車の運転が開始され、昭和5年(1930年)1月には三篠・可部間の全線電化工事が完成し、全線が電車運転に切り替わった。その後昭和10年(1933年)には山陽本線横川駅と連結されるとともに鉄道省に買収され国鉄可部線と改称される。
この頃になると、太田川水運の衰退と共に、貨物輸送の意義が大きくなり、鉄道を更に山県郡戸河内まで延長計画が進められ、昭和11年(1936年)10月可部〜安芸飯室間が開通、その後、日中戦争、太平洋戦争と戦争が続いたため鉄道敷設工事は中止され、戦後再び再開、国鉄は汽笛一声新橋を発車して以来鉄道路線2万キロの記念碑を通過して、昭和29年3月加計、44年((1969年)7月三段峡までが開通しました。
可部線三段峡行き最終便出発の日 03年11月23日
昭和44年7月三段峡まで延長された路線は、期待した観光客、住民の足となりえず、通勤通学の利用者に惜しまれながら、32年の歴史に終止符を打ち最終列車が遠のいてゆく。さよなら可部線・・・・・再びこの路線に列車が帰る日を待ち望みながら?。
可部軽便鉄道からJR可部線へ
広島・可部間を結ぶ交通路は、明治23年広島・浜田線、広島・松江線の両県道が改修されてから、とみに交通量が増大し、乗り合い馬車や乗り合い自動車の運行が試みられたのもこの区間でした。
日清戦争・日露戦争と明治時代の戦後の景気が落ち着いた明治39年広島軌道建設、横川・可部間が計画され大正を経て昭和5年には早くも全線電化の鉄道が建設された。
♪♪・・がんばれかべせん・・♪♪
作詞・曲 /山上茂典
ふるさとの川 清き流れる 水を愛した 人々の歴史
川舟を眺め 鉄橋を渡り 汽笛の音を 響かせてきた
がんばれ かべせん 力強く
まけるな かべせん 夢を乗せて走れ
ふるさとの山 緑ひろがる 土を愛した 人々の歴史
田畑をよこぎり トンネルを抜けると ディーゼルの音を 響かせてきた
がんばれ かべせん 力強く
まけるな かべせん 夢を乗せて
ふるさとの町 笑顔あふれる 心豊かな 人々のくらし
さわやかな風が 今日も吹き抜ける ガタゴトガタゴト 響かせてゆく
がんばれ かべせん 力強く
まけるな かべせん 夢を乗せて
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1906年(明治39年10月)、資本金30万円で広島軌道株式会社を設立。横川・可部間の鉄道建設を計画 |
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1907年(明治40年11月)建設工事に着手。明治41年軌道敷設用地の買収、軌条・枕木などの諸費充当のため、株金払い込みの促進を決議するなど資金不足に苦しむ。 |
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1908年(明治41年8月)、大日本軌道株式会社の設立によって、広島軌道株式会社は吸収合併され、同社広島支社と改称して横川・可部間の建設を協力に進めることになる。 |
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1909年(明治42年12月)には三篠町(横川)祇園間が開通し、次いで43年11月祇園、古市橋間が開通、更に43年12月古市橋・上八木間44年太田川橋が完成されると可部間にいたる全線が1911年(明治44年6月)に開通する。同年7月13日より営業運転を開始する。 |
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1909年(明治42年)の開業以来9年間、大日本軌道株式会社広島支社線として営業されるが大正8年2月には、資本金50万円で設立された、可部軌道株式会社に譲渡される。 1926年(大正15年2月)可部軌道株式会社の臨時株主総会により、広島電気株式会社と合併を決議し5月に合併。 |
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昭和年代に入って、同社の電灯電力供給事業と軌道運輸事業との分離運動が高じ、昭和5年12月に広浜鉄道株式会社が設立され、1931年(昭和6年7月)から可部軌道の全施設の充実を図ると共に旅客、貨物の敏速かに乗り出し1928年(昭和3年11月)全線電化計画を実施し1930年(昭和5年1月)に全線電化工事の完成。 |
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1933年(昭和8年4月)国鉄山陽線との連帯運輸が始められ、10年12月には山陽本線横川駅と広浜鉄道三篠駅を結ぶ鉄道建設が完成し、11年10月鉄道省に買収され、国鉄可部線と改称されると共に横川電車区を設置。日本国有鉄道が、民間に譲渡されJR西日本に運営母体が移るにあわせて、山陽本線広島駅まで延長され、さらに呉・三原駅までの路線を確保して現在にいたる。 |