玉川沿いに白壁の土蔵群が並ぶ端正な町並み
倉吉はもともと打吹城の城下町として栄えた町です。江戸時代の初期に城が廃城となってからは宿場町として発展してきました。元来製鉄業の盛んな町で、農機具「千刃抜き」は、この町の特産品であり、豪商「淀屋」の誕生から、大阪淀屋橋の米穀商としても、徳川幕府を脅かすほどの財力を築いていました。
倉吉の町並みは、玉川そいの土蔵群が有名です、町並みの商家の裏口に当たり、その規模の大きさから当時の商業の繁栄振りを垣間見ることが出来ます。雪国山陰地方独特の赤い瓦屋根の建物が多く、彼方此方にある蔵を「赤瓦2号館」などと名づけて、再利用されています。豪商の町らしく、旧国立第3銀行倉吉支店の建物は土蔵造りと洋風建築の中間で、今なをその特異な姿をとどめています。新しい町づくりとして取り入れた彫刻は、町並み散策の一つの名物としてみることが出来るのもこの町の特徴です。