たたら製鉄の集散地「くろがねどころ」として栄えてきた町
東城は古くは吉備の国の一部でしたが、吉備の国が備前、備中、備後と分けられたときから備後の国に属しました。
東城の町並みは、南北に長く、直線の大通りと、小路によって区画された城下町の面影を残しています。商工業者の住む本町筋を中心にして、西側は家中町と呼ぶ武家屋敷、東側は舟運で開けたと思われる後町の3本の大路とそれを結ぶ小路からなり、よく整った景観です。数箇所は、前方を見渡せず、敵の入りにくい枡形の街路が配されています。その後商工業は発展し、舟の行き来も盛んになり後町の町並みが発達し、東城は城下町の面影を残した宿場町として栄えてきました。