安土桃山時代の町が残る寺内町
今井の町は、一向宗門とによって自治が行われていた「寺内町」の一つで現存する寺内町の町並みとしては最大の規模を持っています。中世の終わり頃浄土真宗本願寺派等の寺院の境内に築かれた集落で、東西600m南北300mに及ぶ町の七割が江戸時代の建物で、「海の堺」「陸の今井]とも呼ばれ、大商人が数多く生まれ、大名貸、蔵元、掛屋、両替商、米・酒・味噌・油・肥料の商いで当時発行された今井札は全国で通用されたと言われます。
近鉄八木駅から北尊坊跡より今井の町に入ると、道路は門を経て内部が見通せないようにほとんどが屈折されている。見通しや、弓矢、鉄砲を射通しすることが出来ないためだ。今井町は最初は興福寺一条員の荘園として登場するが、興福寺の勢力が衰退すると、浄土真宗が大和に進出してくる。地元の勢力と抗争を繰返した後今井は自衛手段として、環濠集落へと変貌した町並みが偲ばれる。
大部分の町家は、切妻造り、本瓦葺、蔵二階土蔵造りで幹は低く江戸期の町並みの景観が保たれている。中でも最も古い今西家住宅はなんと1650年の建築と言われる。
町並みに沿っての街道は静かである。人気のない町並みを歩いていると、時代錯誤を感じる。江戸期から明治の時代に戻った感覚から、日常の現実感が失われる。何度来てもこの感覚は変わらないであろう。
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