高野山は和歌山県北部の高い山に囲まれた平坦な地に、100以上の寺院が密集する大和の中でも例を見ない宗教都市だ。真言宗の宗祖である空海(弘法太子)が宗禅道場として開祖した真言の聖地である。
高野山には深い歴史がある、弘仁7年(816)空海は伽藍の建立に取り掛かかったが、空海が在世中に完成した堂宇はごく僅かで正歴5年(9989には 落雷によりそのほとんどを消失している。
戦国時代、武力を蓄えていた高野山は、比叡山の焼き討ち、石山寺合戦を行った織田信長対立するようになるが、本能寺の変により信長の死によりその難を逃れた、豊臣秀吉は、寺領を寄進し山内に亡母の菩提のため清厳寺(総本山金剛峯寺)を建立した。
寺院群の東端にあるのが空海入定の地とされる奥の院である、一の橋から中の橋を経て御廟端までの約2キロ、参道沿いに無数の石塔が並ぶ、その数約2万基が密教真言の千古の森に深く眠る、一番奥に空海が今も冥想されているとされる御廟がある。空海が62歳の時、座禅を組み大日如来の印を酌んだまま永遠の悟りの世界に入り、今でも高野山奥の院にて生きていると信じられている、「入定」と言うのはそのためである。
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