水と可部の町
西に太田川、東に根の谷川に挟まれて存在する可部の街は、昔から地下水の豊富な町で、江戸時代末期より良質な地下水を利用して、酒、醤油などの醸造業が盛んな街として栄えてきました。
可部の街並みから一歩裏路地に入りますと、滾々と湧き出す水源を基に、小川が家並みの路地を迷路のように流れており、生活の中で人とかかわり、使われ、守られながら潤いを与えていました。
今から、半世紀、戦前のお話です。
その生活水で綺麗だった湧き水が、戦後を境に都市化していく家並みと同調しながら、家庭排水、工業排水、汚水の流れに食い込まれ、あるいは下水道や、道路整備のため暗渠やコンクリートの壁によってドブ川の流れに変わってきました。
1〜2メートルも掘れば、豊富に湧き出ていた地下水も、遭い続く河川の氾濫による洪水の治水、発電、水道水、工業用水の確保、農業用水の利水など、行政による計画から、両河川が改良されるに伴って水位も下がり、現在は3〜40メーターも掘らないと良水を得ることは出来なくなりました。
昨今、下水道の整備計画により、家庭排水、工業用水、汚水は、終末処理場において綺麗な水となって川に流されています。
小川という懐かしい川のイメージを思い起こしながら、昔あった湧き水の場所を辿ってみると、少しながらのあの美しい水が小さな流れとなって、チョロチョロと音を立てながら流れていく風景に出会うことが出来ました。
「消滅した小川を何とか再生して、それを住民の暮らしの為に取り戻したい」
今日も、太田川の舟交通路の入り舟の堀川、農業用水の利水、里山から流れる里川、太田川、根の谷川からの支流と豊富な水が可部の町裏の露地を迷路のように流れています。