潮干れば 玉藻刈りつつ 神代より 然ぞ貴き 玉津島やま
玉津島神社は、住吉神社、人丸神社と並び称される「和歌」の三神です。
仲哀天皇の皇后息長足姫が紀伊半島に進軍した際、玉津島神社の加護を受けた事から、その分霊を祀ったことから始まる。と由緒にある。
和歌川河口の干潟の広がる美しい風景の中に、濃い緑の社を残し、いかにも女神を祀るに相応しい環境を整えた神社です。
「玉津島 見れども飽かず いかにして 包みもち行かむ 見ぬ人のため」
聖武天皇の玉津島御行を伴にした万葉の歌人 山部赤人が名歌を残すべき当然の美しさで、神社の裏山「奠供山」の頂より、眼下に広がる白砂州の片男波に包まれた太平洋のしびれる美しさに、微妙な自然への陶酔と愛着が読み取れる
「わかの浦に 潮満ち来れば 潟を無み 葦邊をさして たず啼きわたる」